些細な不快と大いなる癒し

ボッケさん「マスカッタンさん、これはどうしたらいいですか?」

マスカッタン「これはこうしたらいいと思います」

ボッケさん「そうですね。わかりました」

というが、すぐ後に助言とは全く違う対応されると、

「一応聞いたけど、マスカッタンさんのいうとおりにはしません!」ということ??

それなら「聞きに来ないで!不愉快だわ」と思ってしまう。

 

人の助言を無視するつもりはなく、言われたことを理解できなかった、もしくはすぐに忘れてしまったというだけで悪気はないのだろうけど、

ああやっぱり・・・不快、気分ワルイ、モヤモヤ感

 

そんな些細な不快感のあと、家に帰ると生まれたての無垢な赤ちゃんがいて、

夜中に泣いても、うんちを大量にしても、ミルク吐かれても、笑顔になる

・・・大いなる癒しで救われています。

もっと寛容になろう!!

 

 

詩という表現の力

詩を読んでみようという会に参加しました。

その会のきっかけは、作家・寮美千子さんの講演です。

詩人でもある寮さんは、少年刑務所で受刑少年への教育プログラムを実践。

「社会的涵養プログラム」というそうです。

 

殺人、放火、レイプ、覚せい剤などの重い罪を犯した少年、

その背景には、虐待やいじめ、過酷な家庭環境があって、

心を閉ざし、言葉の表現もなかった少年たちに、

会話や絵本、演劇を通じて内面を豊かにするプログラムだそうです。

 

講演の前にちょうど「ケーキを切れない非行少年たち」を読んでいたので、

とても興味深く寮さんの講演を聞きました。

人の言葉を聴く、感じたことを言葉にする、共感する・・・ことで、

人が人らしく変わっていくということが伝わってきました。

 

言葉で表現するって大事ですよね。

インタビューやナラティブでも“聴く”がとても大事。

一人を理解するのは難しいですが、語る・聴くという行為は何かを生むのでしょう。

新しいものを発見できるかもしれません。

 

 

 

 

待望の赤ちゃん

二人目の孫が出産予定日から一週間遅れて産まれました。

一人目のときも遅れて陣痛促進剤で産まれました。

娘は助けてもらわないと陣痛が進まない体質のようです。

 

陣痛を促進し、子宮口を開くためにバルーンという器具があるそうです。

娘曰く、水風船のようなものを子宮口に入れて膨らませるそうです。

水風船よりバルーンの方が名前の感じがいい!

 

おかげさまで、陣痛の時間が短縮して安産で産まれました。

お産も進化していますね。

 

昭和では、大きく生まれ、大きく育てる(健康優良児の表彰など)

平成は、母乳が一番!小さく生んで大きく育てる

令和では、どう変わっていくのでしょう?

病院の面会はできないので、退院するまで会えませんが、

生まれたての赤ちゃんを抱けるのは楽しみです。

 

 

 

おもしろくないと時間がかかる

先日、6年前に始めた調査のまとめをやっと終えました。

A教授との共同研究で、3年前に一部を分析して論文にしましたが、

それから3年もかかって全部のデータ結果をまとめました。

アルバイトにも集計や整理を頼み、やっとひと段落です。

 

時間がかかる大変な集計・分析だったというより、

気持ちが乗らなくて後回しにしてしまった結果です。

研究って、人から頼まれてするものではなく、

やはり「おもしろそう!」「知りたい!」という好奇心がないと持続が難しいです。

 

これから分析と論文作成は教授にお任せし、

早く終わりにして手放したい・・・という気持ちです。

 

マルチタスクとは

マルチタスクの元の意味は、

コンピューターにおいて複数のタスクを切り替えて実行できるシステムのことである。

仕事での意味では、

複数の作業を同時並行、短期間で切り替えながら同時進行で行う能力のことである。

 

たとえば、主婦の仕事は、

食事の準備をしながら洗濯や掃除をし、子どもの世話をしながら夫の世話もし、

そして自分の職場の仕事もこなし、その合い間に専門書や論文を読んで、修士論文を書いたり学会発表の準備をする。

マルチタスクだわ・・・(〃艸〃)ムフッ

さらに、保育園の送り迎えをし、保護者会やPTAにも参加し、保育園や学校の行事にも参加する。プラス地域の会合やイベントにも参加し、割り当てられた仕事をこなす。

 

私ががむしゃらにしてきたことなのだけれど、改めて女性ってすごいわ。

同時並行、同時進行の訓練だったのよね。今も役に立ってはいるけれど・・・

男性って何してんの?

と言いたくなるのは私だけ?

 

 

優しさの暴力

先週の授業で、質的調査は研究者自身の自己理解が大事だということを学びました。

 

発達障害者当事者(青年)をインタビュー調査したことがあります。

当事者の青年は、小学校の高学年の頃がいちばん大変だったようで、

不登校になり、いろいろと辛かった体験を語ってくれました。

 

クラスの同級生たちが、担任に勧められて書かされたであろう寄せ書きを見たとき、

「優しさの暴力だった」と語りました。

私がこの「優しさの暴力」という言葉がとても心に残っています。

 

そのインタビューは、GTAで分析したのですが、

なぜ、この言葉に引っ掛かったのか、

そのときの自分をもう一度振り返っています。

 

 

 

 

 

研究に引退はない

先日、新聞の「ひと」欄に、82歳で修士論文を書いた坂田美枝さんの紹介記事があった。

80歳で同志社大学大学院へ入学、「仕事唄」のテーマで修士論文を執筆。

これからの夢は「杜氏を支えた妻たちの女性史」を書くことらしい。

 

研究はそろそろ終わりかな?と思っていたのだけれど、

年齢とは関係なく探求心さえあれば、永遠に続けられるのかもしれない。

 

研究所にも研究好きな高齢教授たちが頑張っておられる。

体力も精神もお元気、特に科研費研究になると目を輝かせ、水を得た魚のように動き始める。それは事務処理や会議の時には見られない。

 

研究所初代所長の新堀先生は、90代で本を出版され、周囲の先生方(弟子)が原稿の校正を頼まれたとき、誤字脱字はもちろん修正箇所がなかったという逸話がある。

研究は人の脳を活性化するのだろう。

 

わたしももうちょっと頑張ってみようかな?